
江戸時代の人々は、どんな野菜を食べていたのか。時代劇の食事シーンを思い浮かべると、白飯に味噌汁、漬物、焼き魚……と地味な印象があるかもしれない。だが実際の江戸の食卓は、野菜が主役級の存在だった。
結論から言うと、大根・ナス・きゅうり・ねぎ・ごぼうといった今と同じ顔ぶれがすでに揃っていた一方で、トマト・玉ねぎ・白菜など「実はまだ食卓になかった野菜」も意外なほど多い。カレーも肉じゃがも作れない(そもそも肉を食う習慣も薄い)が、たくあんと小松菜はある。それが江戸の食卓だ。
この記事では、「あった野菜・なかった野菜」を軸に、江戸野菜のブランド、野菜の流通、初物をめぐる騒動、そして飢饉が広めた野菜まで、江戸の野菜の世界をまるごと案内していく。読み終わる頃には、スーパーの野菜売り場の見え方が少し変わっているはずだ。
江戸時代に「あった野菜」|今の食卓とかなり近い顔ぶれだ

江戸の食卓の主役たち|大根・ナス・きゅうり・ねぎ・ごぼう
まずは江戸時代にすでに定着していた野菜を挙げてみよう。
- 大根・かぶ・ナス・きゅうり・ねぎ・ごぼう・里芋・山芋|食卓の常連組
- ほうれん草・にんじん・しょうが・みょうが・うど・せり|彩りと薬味の名脇役
- かぼちゃ・じゃがいも・とうもろこし・さつまいも|戦国〜江戸期に海外から来た新顔組
どうだろう、煮物や味噌汁を作るには十分すぎるラインナップだ。実際、肉食が一般的でなかった江戸の食生活において、野菜はタンパク源の豆腐・味噌とともに栄養の柱だった。江戸の料理本には野菜料理が山ほど載っていて、大根だけで百種類の料理を紹介する『大根一式料理秘密箱』なんて本まで出版されている。一つの野菜でレシピ本が成立する時代だったんだ。
ちなみにきゅうりには面白い話がある。輪切りにした断面が徳川家の葵の御紋に似ているため、武士は食べるのを遠慮したという逸話が残っているんだ。真偽のほどは定かでないが、野菜の切り口にまで将軍家の威光が及ぶ——いかにも江戸らしい小話だろう。
大根は別格の存在だった|生産量トップ、たくあんに沢庵和尚
江戸の野菜界にはっきりした序列をつけるなら、王様は文句なしに大根だ。
大根は江戸近郊で最も多く作られた野菜で、煮てよし、おろしてよし、汁に入れてよし。そして何より漬物にして保存できるのが大きかった。冷蔵庫のない時代、秋に収穫した大根をたくあんに漬け込めば、冬から春の貴重な野菜供給源になる。
そのたくあん、名前の由来には有名な伝承がある。禅僧の沢庵和尚が考案した(あるいは広めた)漬物を、江戸に立ち寄った3代将軍・家光が気に入り、「沢庵漬け」と呼ぶよう命じた——という話だ。あくまで伝承で史実の確証は薄いが、将軍から庶民まで同じ漬物を食べていたと考えると、たくあんは江戸で最も身分を超えた食べ物のひとつだったのかもしれないね。
江戸時代に「なかった野菜」|トマト・玉ねぎ・白菜がない食卓

トマトは「観賞用」だった|赤い実は見て楽しむもの
次は「なかった」側の話をしよう。現代の食卓の人気者・トマトは、実は江戸時代の初め頃には日本に伝わっていた。「唐柿(とうがき)」などと呼ばれた記録が残っている。
ところが江戸の人々は、トマトを食べずに、観賞用として眺めていた。真っ赤な実は毒々しく見えたのか、青臭さが好みに合わなかったのか、食用としてはまったく普及しなかったんだ。トマトが日本の食卓に本格的に上るのは明治以降、それも洋食文化の広がりとともに、である。江戸っ子が現代のトマトサラダを見たら「その赤い実を食うのか!」と仰天するに違いない。
玉ねぎ・白菜・キャベツの普及は明治以降|意外と新顔の野菜たち
「え、これも無かったの?」と驚く野菜は他にもある。
- 玉ねぎ|本格的な栽培・普及は明治以降。江戸の「ねぎ」といえば長ねぎだ
- 白菜|普及は明治後期から大正にかけて。日清・日露戦争を機に大陸から本格的に入ってきた、実はかなりの新顔だ
- キャベツ|江戸期に伝来はしていたが、観賞用の葉牡丹として愛でられる存在。食用普及は明治以降だ
つまり、肉じゃがもカレーも野菜炒めも、材料の時点で江戸では作れない。鍋に白菜すら入っていないのだ。今や鍋の主役級のあの白菜が、たかだか100年ちょっとの歴史しかないというのは、なかなか衝撃的な事実じゃないだろうか。
一方、じゃがいも・かぼちゃ・とうもろこしは江戸時代より前に伝来していたが、立ち位置は今と違って「主役ではなく、飢えに備える保険」という色が濃かった。この話は最後の章でもう一度出てくる。
「江戸野菜」というブランド|地名がついた名産野菜たち

江戸時代の野菜を語るうえで外せないのが、地名を冠した名産野菜、いわゆる江戸野菜だ。代表選手を挙げよう。
- 練馬大根(練馬)|たくあん用として名を馳せた、江戸野菜の代表格
- 小松菜(小松川)|雑煮に欠かせない江戸の青菜
- 千住ねぎ(千住)|鍋と蕎麦の薬味を支えた名品
- 谷中しょうが(谷中)|夏の暑気払いの定番
- 亀戸大根・滝野川ごぼう・目黒の筍|他にも地名付きがずらり
小松菜には有名な命名譚がある。鷹狩りで小松川村を訪れた8代将軍・徳川吉宗が、献上された青菜入りの雑煮を気に入り、地名から「小松菜」と名付けた——という説だ。これも伝承の域を出ないが、飢饉対策でサツマイモを広めた吉宗が青菜の名付け親でもあるとしたら、なんとも野菜に縁のある将軍だね。
これらの江戸野菜、宅地化とともに多くが姿を消したが、近年は「江戸東京野菜」として復活させる取り組みが進んでいる。練馬大根も小松菜の伝統品種も、今なら都内の直売所やイベントで出会えることがある。300年前のブランド野菜が現代に蘇っているわけだ。
江戸の野菜はどう流通していたのか|朝採り野菜が並ぶ「やっちゃ場」

100万人が暮らした大都市・江戸。その胃袋を支える野菜は、どう運ばれていたのか。
答えは近郊農業だ。練馬、小松川、千住、谷中——さっき挙げた江戸野菜の産地を見てほしい。全部、江戸の市街地からせいぜい数里の距離にある。農家は未明に野菜を収穫し、天秤棒や大八車、舟で市中へ運んだ。神田や駒込、千住には青物市場が立ち、威勢のいい競り声から「やっちゃ場」と呼ばれた。朝採り野菜がその日のうちに長屋の食卓に届く。究極の地産地消が成立していたんだ。
さらに驚くのは帰り道だ。野菜を売った農家は、空になった車に江戸市中の下肥(しもごえ=人の排泄物)を買って帰り、畑の肥料にした。都市の排泄物が農村の肥料になり、育った野菜が都市に戻る。江戸は世界でも稀な循環型のリサイクル都市だったと評価されている。同時代のヨーロッパの都市が汚物の処理に頭を抱えていたことを思えば、これはかなり誇っていいシステムだと思うね。
野菜は「初物」がステータスだった|初鰹だけじゃない、初ナス騒動

江戸っ子の食といえば「初鰹」に大金を払う見栄っ張りが有名だが、あの熱狂は野菜にも向けられていた。
「初物を食えば七十五日長生きする」という言葉があるほど、江戸では季節の走りの食材が珍重された。中でも初ナスは人気の的。ナスの旬は夏だが、少しでも早く出荷すれば高値がつくため、農家は知恵を絞った。砂村(現在の江東区)の農家は、落ち葉や下肥の発酵熱を利用した温床でナスを促成栽培し、春先に出荷して大儲けしたと伝えられる。ビニールハウスのない時代の、執念のハウス栽培である。
ところが、だ。初物の値段が高騰しすぎたことを問題視した幕府は、初物の出荷時期を制限する禁令をたびたび出している。曰く、贅沢は風紀を乱す、と。それでも江戸っ子の初物熱は冷めず、禁令は繰り返し出された——つまり、繰り返し破られたということだ。
民衆が熱狂し、幕府が統制し、それでも民衆は止まらない。飢饉の記事で見た打ちこわしとは形こそ違うが、ここにも「統制する幕府と、したたかな民衆」という江戸社会の縮図が見えるだろう。ナス一本にも、統治と経済のドラマがあるんだ。
飢饉が広めた野菜もある|サツマイモは江戸のセーフティネットだった
最後に、シリーズで追いかけてきた「災害と統治」の目線から、野菜の話を締めくくろう。
江戸時代は小氷期と呼ばれる寒冷期にあり、冷害による飢饉が繰り返された。米が穫れない年に人々の命を繋いだのが、救荒作物と呼ばれる野菜たちだ。その筆頭がサツマイモである。
享保の飢饉で西日本が壊滅的な被害を受けるなか、サツマイモの産地は餓死者が少なかったとされる。これに注目した8代将軍・吉宗は、蘭学者の青木昆陽に命じてサツマイモの試作と普及を進めさせた。やせた土地でも育ち、冷害にも比較的強いサツマイモは、以後、関東から全国へ広がり、天明・天保の飢饉で数え切れない命を救うことになる。昆陽が「甘藷先生」と呼ばれ、墓が今も大切にされているのは、それだけの働きだったからだ。
かぼちゃやじゃがいもも同じく、飢えに備える保険として各地に広がっていった。今日おやつに食べる焼き芋も、ハロウィンで飾るかぼちゃも、元をたどれば飢饉の時代のセーフティネットだった。野菜の歴史は、食文化の歴史であると同時に、防災の歴史でもあるんだ。
まとめ|江戸の野菜は「食文化と統治」の両方が見える鏡だ
最後に、この記事のポイントを整理しておこう。
- 江戸の食卓には大根・ナス・きゅうり・ねぎ・ごぼうなど、今と近い顔ぶれがすでに揃っていた。王様は大根だ
- 一方でトマトは観賞用、玉ねぎ・白菜・キャベツの普及は明治以降。カレーも肉じゃがも作れない食卓だった
- 練馬大根・小松菜・千住ねぎなど地名付きの「江戸野菜」ブランドが確立し、現代に「江戸東京野菜」として復活しつつある
- 野菜は近郊農業と青物市場(やっちゃ場)で流通し、下肥の還元による循環型農業が成立していた
- 初ナスに熱狂する江戸っ子と、初物禁止令を出す幕府。ナス一本にも統治のドラマがあった
- サツマイモは飢饉から命を守る救荒作物として、吉宗と青木昆陽が普及させた
あった野菜となかった野菜、ブランド野菜と救荒作物、熱狂する民衆と統制する幕府。江戸の野菜を覗くと、食文化と統治システムの両方が見えてくる。スーパーで大根や小松菜を手に取ったとき、その向こうに300年前の練馬や小松川の畑を思い浮かべてもらえたら、この記事を書いた甲斐があるというものだ。