
2026年7月28日午後4時27分、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し、宇城市と氷川町で最大震度7を観測した。
2016年の熊本地震から10年。あの震災を乗り越えて日常を取り戻してきた熊本が、再び大きく揺れた。被災された方々に心からお見舞いを申し上げたい。今この瞬間も不安な夜を過ごしている方々の無事を、ただ祈るばかりだ。
こんなときに遠くの人間ができることは限られている。ただ、「知る」ことは次の備えにつながる。実は熊本の地は、古代から何度も大地震に襲われてきたことが古文書に記録されているんだ。
この記事では、日本書紀の時代から江戸時代まで、熊本を襲った地震の記録をたどっていく。読み進めてもらえば分かるが、歴史が伝えているのは「熊本は、また揺れる土地だ」という重い事実だ。そしてそれは、恐怖ではなく備えのために知っておくべきことなんだ。
日本最古の地震記録は九州にあった

679年「筑紫地震」|日本書紀に残る最古の被害記録
日本で最初に被害の詳細が記録された地震は、実は九州で起きている。
『日本書紀』天武天皇7年(679年)の条に、筑紫国(現在の福岡県周辺)を襲った大地震の記述がある。幅約6メートル、長さ10キロメートル以上にわたって地面が裂けたと伝えられ、多くの家屋が倒壊した。丘の上にあった家が、地割れとともに丸ごと移動したのに壊れなかった、なんて生々しい記述まで残っているんだ。
1300年以上前から、九州は地震と共にある土地だった。そして熊本には、さらに衝撃的な記録がある。
744年 天平の大災害|被災地は「八代・天草・芦北」だった
『続日本紀』によれば、天平16年(744年)、肥後国の八代・天草・葦北の三郡で大災害が発生した。雷雨と地震により、民家470余りが流失、1,520人余りが溺死、田畑290余町が海に没したと記されている。
津波によるものか、豪雨と山崩れによるものかは、はっきり分かっていない。ただ注目してほしいのは被災地の顔ぶれだ。八代、天草、芦北——今回震度7を観測した宇城市・氷川町のすぐ南に連なる、まさに同じエリアなんだ。1300年前の記録と今回の震災地図が重なる。偶然で片付けていい話ではないだろう。
江戸時代初期、熊本は立て続けに揺れた

1619年 元和の八代地震|城が崩れ落ち、余震は「年中」続いた
時代は下って江戸時代初期。元和5年(1619年)、八代地方をマグニチュード6.0前後と推定される地震が襲った。
この地震で、球磨川河口の中州に築かれていた麦島城が倒壊した。記録には「卯ノ刻ヨリ大地震、牛ノ刻ニ至リ城楼崩壊」とある。早朝から揺れ始め、昼頃には城の櫓が崩れ落ちた、ということだ。さらに恐ろしいのは「年中ゆる」という記述。つまり余震が一年中続いたんだ。
2016年の熊本地震でも、震度1以上の余震が4,000回を超えた。終わらない揺れに耐える日々——400年前の八代の人々も、まったく同じ経験をしていたわけだ。
ちなみに、倒壊した麦島城の代わりに新しく築かれたのが現在の八代城だ。当時は一国一城令で新規築城は原則禁止。それでも幕府は例外として再建を認めた。薩摩ににらみを利かせる拠点として、八代がそれだけ重要だったということだね。
1625年 寛永の熊本地震|熊本城の火薬庫が爆発した
八代地震からわずか6年後の寛永2年(1625年)、今度は熊本の城下が揺れた。
推定マグニチュードは5〜6。数字だけ見れば八代地震より小さい。ところがこの地震は、とんでもない二次災害を引き起こした。揺れによって熊本城内の焔硝蔵(えんしょうぐら=火薬庫)が爆発したんだ。
爆発で天守付近の石垣が崩れ、死者は約50人と記録されている。地震そのものではなく、地震が引き起こした爆発・火災が被害を拡大させた典型例だ。
「地震の後には火の始末」。現代の防災で繰り返し言われるこの教訓を、熊本は400年前にすでに、しかも最悪の形で経験していたわけだ。
「島原大変肥後迷惑」|海の向こうから来た大津波

1792年、雲仙の山体崩壊が有明海を襲った
江戸時代の熊本を襲った災害で、絶対に外せないのが寛政4年(1792年)の「島原大変肥後迷惑」だ。
長崎・島原の雲仙岳で火山活動が活発化するなか、地震をきっかけに眉山が大崩壊。膨大な土砂が有明海になだれ込み、大津波が発生した。津波は対岸の肥後国、つまり熊本の沿岸を直撃したんだ。
島原側と肥後側を合わせた犠牲者は約15,000人。うち約5,000人が肥後側とされ、日本の火山災害史上最悪の被害となった。島原で起きた「大変」が、海を越えて肥後に「迷惑」(当時の言葉で災難の意)をもたらした。この呼び名には、理不尽に巻き込まれた肥後の人々の無念が刻まれている。
熊本にとって津波は他人事ではない
ここで思い出してほしい。今回の地震でも、有明海・八代海に津波注意報が発表された。
「熊本は内海だから津波は大丈夫」と思っている人は少なくないだろう。だが230年前、その内海で5,000人が亡くなっている。自分の足元で地震が起きなくても、津波はやってくる。これが歴史の教えるリアルなんだ。
古文書が教えてくれること|熊本は「繰り返し揺れてきた」土地だ

ここまでの記録を並べてみると、あることに気づかないだろうか。奈良時代の八代、江戸時代の八代、そして熊本城下。被害の中心は、いつも同じ地域なんだ。
現代の調査で、熊本県には布田川断層帯・日奈久断層帯という活断層が走っていることが分かっている。2016年の熊本地震はこの断層帯の活動によるものだった。そして1619年の八代地震についても、日奈久断層帯の活動だった可能性が研究者から指摘されている。今回の地震と断層の関係は今後の分析を待つ必要があるが、震源となった熊本地方が歴史的に繰り返し揺れてきた土地であることは、記録がはっきり示している。
古文書の地震記録は、単なる昔話ではない。「この土地では、また起こる」という先人からのメッセージなんだ。
まとめ|歴史は「備え」のためにある

最後に、この記事のポイントを整理しておこう。
- 日本最古の地震被害記録は679年の筑紫地震。九州は1300年以上前から地震と共にある土地だ
- 744年には八代・天草・芦北で大災害が発生し、1,500人以上が犠牲になった。今回の被災地と重なるエリアだ
- 1619年の八代地震では麦島城が倒壊。余震は「年中」続いたと記録されている
- 1625年の熊本地震では熊本城の火薬庫が爆発。二次災害の恐ろしさを伝える事例だ
- 1792年の「島原大変肥後迷惑」では、雲仙の山体崩壊による津波で肥後側だけで約5,000人が犠牲に。有明海・八代海沿岸に津波リスクは実在する
- 被害の中心は歴史を通じてほぼ同じ地域。布田川・日奈久断層帯の存在がその背景にある
1300年前の人々も、400年前の人々も、突然の揺れに恐怖し、余震に耐え、そして復興してきた。麦島城が崩れれば八代城を築き、熊本城が傷つけば石垣を積み直す。熊本の歴史は、災害と復興の繰り返しでもあるんだ。
今、熊本で不安な時間を過ごしている方々が、一日も早く安心して眠れる日を迎えられることを願っている。そして読者のあなたにお願いしたいのは、この地震を「自分ごと」にすることだ。水と食料の備蓄、家具の固定、家族との連絡手段の確認。歴史から学ぶというのは、結局そういう行動のことなんだ。
被災された皆様の安全と、熊本の一日も早い復旧を心から祈っている。