
現代の日本では、朝・昼・夜の1日3食が当たり前になっている。ところが江戸時代の初め頃まで、多くの人々は1日2食で暮らしていた。
「あれだけ体を使って働いていたのに、2食で足りたのか」と不思議に思う人もいるだろう。
だが、当時の生活時間や食事量、間食の習慣まで見ていくと、江戸時代の人々が2食で生活できた理由が見えてくる。さらに、江戸の町が発展するにつれて、なぜ現在と同じ3食へ変わっていったのかも分かってくるのだ。
江戸時代は2食だった

江戸時代初期まで、日本では朝と夕方の1日2食が広く行われていた。
ただし、日本全国のすべての人が同じ時刻に同じ回数だけ食べていたわけではない。身分や職業、季節、地域によって生活のリズムは異なっていたからだ。
それでも、現代のように朝・昼・夜の3食を毎日きっちり取る習慣が、まだ社会全体には定着していなかったことは確かだろう。
当時の人々は、日の出とともに起き、明るいうちに働き、日が暮れると早めに休む生活を送っていた。電気のない時代では、夜遅くまで活動すること自体が難しかったのである。
活動時間が現代より短ければ、食事の回数も少なくて済む。夜更かしをし、深夜まで仕事や娯楽を続ける現代人とは、そもそも1日の使い方が違っていたのだ。
2食でも食べる量が少なかったわけではない
1日2食と聞くと、食べる量も少なかったように思える。しかし、一度の食事量は現代より多い場合もあり、2食だからといって単純に摂取量が少なかったとは限らない。
主食は米や雑穀で、味噌汁、漬物、野菜、豆類、小魚などが食卓に並んだ。肉体労働をする人は、仕事の合間に餅、団子、芋などを口にすることもあった。
つまり、正式な食事は2回でも、必要に応じて軽食や間食を取っていたのである。現代の感覚で言えば、「2食+間食」に近い生活だった人もいただろう。
なぜ3食になったのか

日本で1日3食が広がった大きなきっかけは、江戸の都市化だったと考えられている。
江戸は人口が増え、商人、職人、火消し、飛脚など、朝から長時間働く人々が集まる巨大都市へ成長した。
活動時間が長くなれば、朝と夕方の2食だけでは腹がもたない。そこで仕事の途中に軽く食べる習慣が広がり、昼食が日常生活へ入り込んでいったのである。
屋台と外食文化が昼食を定着させた
江戸では外食文化も発達していた。
蕎麦、寿司、天ぷら、田楽、焼き物などを手軽に食べられる屋台や店が増え、忙しい職人や独身男性でも短時間で食事を済ませられるようになった。
現代のファストフードに近い役割を、江戸の屋台が果たしていたわけだ。
昼に空腹を感じても、自宅へ戻って食事を用意する必要はない。町のあちこちで簡単に食べ物を買える環境が整ったことで、昼食は一部の人だけの習慣ではなく、都市生活に欠かせないものへ変わっていった。
夜の活動時間が延びたことも関係している
菜種油を使う行灯や、ろうそくが広まったことも生活時間を変えた。
もちろん、現代の照明ほど明るく安価ではない。それでも、日没後に仕事や商売、読み書き、娯楽を続けられる時間は以前より長くなった。
1日の活動時間が延びれば、その分だけエネルギーも必要になる。江戸の都市生活が、2食から3食への変化を後押ししたのである。
武士と庶民で食事は違ったのか

同じ江戸時代でも、武士と庶民、都市と農村、裕福な商人と貧しい町人では、食事の内容が大きく異なっていた。
武士は白米を食べる機会が多かった
武士、とくに江戸で暮らす武士は、白米を多く食べる傾向があった。
白米は見た目がよく、当時はぜいたくで上等な食べ物と考えられていた。しかし、精米によってビタミンB1が失われるため、白米に偏った食生活は脚気を招きやすい。
江戸へ来ると脚気になり、地方へ戻ると症状が軽くなる人もいたことから、脚気は「江戸わずらい」と呼ばれた。
豊かな食事が、必ずしも健康的だったわけではないところが興味深い。
庶民の食事は質素だが栄養面では理にかなっていた
庶民の食卓では、玄米や雑穀、味噌汁、野菜、漬物、豆、小魚などが中心だった。
決して豪華ではない。だが、玄米や雑穀には白米より多くのビタミンや食物繊維が残っている。
経済的な理由から質素な食事をしていた人々の方が、結果として脚気になりにくい場合もあったのだ。
ただし、江戸の庶民も白米を好んだため、「庶民は皆、玄米や雑穀ばかりを食べていた」と単純化することはできない。食生活は地域や収入によって大きく違っていたと考えるべきだろう。
江戸時代の2食と現代の1日2食は同じではない

近年は、16時間断食や1日2食といった食生活が注目されている。
そのため、「江戸時代の人も2食だったのだから、現代人も2食が正しい」と考えたくなるかもしれない。
しかし、江戸時代と現代では生活環境がまるで違う。
当時は徒歩移動や肉体労働が多く、起床時間や就寝時間も現代とは異なる。食べていた物、1回の食事量、間食の取り方にも違いがある。
歴史上2食が一般的だったことと、現代人に2食が適しているかどうかは別問題なのだ。
それでも、「朝昼晩の3食こそ昔から続く絶対的な習慣」というわけではないことは分かる。今の常識も、江戸の都市化や生活時間の変化によって作られたものなのである。
まとめ

- 江戸時代初期までは、朝と夕方の1日2食が広く行われていた
- 正式な食事が2回でも、仕事の合間に間食する人はいた
- 江戸の都市化と労働時間の増加によって昼食が広まった
- 屋台や外食文化の発達が3食の定着を後押しした
- 武士と庶民では食事内容が異なり、白米中心の生活は脚気の原因にもなった
- 江戸時代の2食と、現代の健康法としての2食は単純に同じとはいえない
現代では1日3食が当たり前だ。だが、歴史をたどれば、その常識は江戸時代の都市化とともに形作られた比較的新しい習慣だったことが分かる。
江戸時代の食事回数を知ることは、単なる食文化の雑学ではない。私たちが当然だと思っている暮らしも、社会や仕事、技術の変化によって作られたものだと気づかせてくれるのである。