「頑張っても、どうせ評価されない」
社員がそう思い始めた会社では、静かに人が動かなくなっていく。
指示された仕事はする。締め切りも一応は守る。表面上、大きな問題は起きていない。
しかし、新しい提案は出てこない。
困っている同僚がいても、自分から助けようとはしない。
会社を良くするために余計なことをすれば、仕事が増えるだけだからだ。
そして、優秀な社員から順番に会社を去っていく。
経営者はその姿を見て、こう嘆く。
「最近の社員は、向上心がない」
「給料を払っているのに、なぜ自分から動かないのか」
だが、本当に社員だけの問題だろうか。
人が動かなくなる組織には、多くの場合、共通点がある。
何をすれば評価されるのか、本人にも分からないのである。
売上を伸ばしても評価されない。
裏方として周囲を支えても、上司が見ていなければ何もなかったことになる。
一方で、社長と親しい社員や、声の大きい社員ばかりが出世する。
こうした状況が続けば、社員が学ぶのは仕事のやり方ではない。
「頑張るより、気に入られた方が早い」
という処世術だ。
ところが今から約1400年前、血筋や所属する一族が人の地位を大きく左右していた時代に、そこへ一石を投じる制度が現れた。
それが、聖徳太子の時代に制定されたとされる冠位十二階である。
学校では、冠の色によって役人を12段階に分けた制度、と習った人が多いだろう。
しかし、その本当の面白さは、色の順番を暗記することではない。
冠位十二階が示したのは、次のような新しい発想だった。
生まれた家だけではなく、一人ひとりを見て、地位を与える。
冠位十二階は、本当に日本初の「評価制度」だったのか。
そして、1400年以上前の制度から、現代の経営者は何を学べるのか。
今回は、冠の向こう側に隠れている「人が動く仕組み」を見ていこう。
「何をしたか」より「どの家に生まれたか」が重要だった時代

冠位十二階が登場する前のヤマト政権では、政治は現在の会社組織とは大きく異なる原理で動いていた。
当時の有力者たちは「氏」と呼ばれる一族を単位としてまとまり、それぞれの氏が一定の役割を担っていた。
たとえば、軍事、祭祀、外交、文書作成など、特定の仕事を特定の氏族が代々受け持つ。
さらに、それぞれの氏には「姓(かばね)」と呼ばれる称号が与えられ、政治的な序列や立場を示していた。
これが、いわゆる氏姓制度である。
もちろん、当時の社会を単純に「能力がまったく評価されない社会」と決めつけることはできない。
実際の政治では、個人の力量、実績、人間関係も影響したはずだ。
それでも基本的な枠組みとしては、個人よりも氏族が先にあった。
現代風にたとえるなら、本人の働きぶりよりも、次のような要素によって立場が決まりやすい会社である。
- どの創業家に生まれたか
- どの派閥に所属しているか
- 親がどの役職だったか
- どの部署の出身か
いくら本人が優秀でも、所属する一族の格が低ければ、政治の中枢へ入りにくい。
反対に、有力な一族に生まれれば、その家が担ってきた立場を受け継ぎやすい。
言ってみれば、会社全体が巨大な同族企業の連合体のような状態だった。
この仕組みには利点もある。
誰が何を担当するかが固定されているため、秩序は保ちやすい。
仕事も親から子へ伝えられ、専門性を継承できる。
だが、国の規模が大きくなり、外交や統治が複雑になると、大きな弱点が表面化する。
必要な人材を、必要な場所へ配置しにくい。
どれほど外交能力の高い人物がいても、その仕事を担う氏族に属していなければ活用しづらい。
どれほど国政に向いた人物でも、生まれた一族によって出世の限界が見えてしまう。
これでは、一族の力は維持できても、国全体として人材を有効に使えない。
現代企業でも同じことが起きる。
- 営業出身でなければ役員になれない
- 新卒採用組でなければ重要なポストに就けない
- 社長に直接ものを言える古参だけが出世する
そんな暗黙のルールが支配する組織では、優秀な人材がいても力を発揮できない。
人は、能力がないから動かないとは限らない。
動いても道が開かれないと知っているから、動かないこともある。
603年、個人に位を与える制度が始まった

『日本書紀』によれば、推古天皇11年、すなわち603年に冠位十二階が定められた。
冠位は上から、次の12段階に分けられた。
- 大徳・小徳
- 大仁・小仁
- 大礼・小礼
- 大信・小信
- 大義・小義
- 大智・小智
「徳・仁・礼・信・義・智」という儒教的な徳目を、それぞれ「大」と「小」に分けた構成である。
位に応じた冠を身につけることで、朝廷内での序列を外見から分かるようにした。
なお、冠の具体的な色については、教科書などで紫・青・赤・黄・白・黒と説明されることが多い。
ただし、当時の色と各冠位の厳密な対応には、不明な点も残っている。
重要なのは、色そのものではない。
それまでの氏姓制度が基本的に「氏族」を対象としていたのに対し、冠位は個人に与えられたことだ。
さらに、原則として世襲されず、昇進の可能性を持っていた点にも新しさがあった。
一族に固定された地位とは別に、朝廷に仕える個人を格付けする仕組みが生まれたのである。
これは、現代の会社で考えると分かりやすい。
それまでは「○○家」「○○一族」という看板に役職が与えられていた。
それが冠位十二階では、一人の働き手に対して、次のように示す仕組みに変わった。
「あなたは現在、この位置にいる」
「さらに上の位置を目指すことができる」
もちろん、現在の人事評価制度ほど詳細な基準が用意されていたわけではない。
売上、行動、能力などを点数化した評価シートが残っているわけでもない。
それでも、
組織の中で個人を見いだし、個人に地位を与える。
という発想は、日本の政治制度における大きな転換だった。
だから冠位十二階は、単なる服装規定ではない。
「人をどう見るか」を変えようとした制度だったのである。
聖徳太子一人の「大発明」と考えるのは少し危ない

ここで、歴史を現代へ応用する前に、一つ注意しておきたい。
冠位十二階は一般に「聖徳太子が制定した」と説明される。
しかし実際には、聖徳太子が一人で部屋にこもり、何もないところから独創的に発明したと考えるべきではない。
当時の政治には推古天皇がおり、大臣として蘇我馬子がいた。
制度の成立には、こうした政権中枢の人々が関与していたと考えるのが自然だ。
また、冠位制度そのものも、日本だけで突然生まれたわけではない。
中国や朝鮮半島の制度から影響を受け、とりわけ百済などの官位制度を参考にした可能性が指摘されている。
つまり、冠位十二階を、次のように語るのは行きすぎである。
天才・聖徳太子が日本で初めて考え出した、完璧な成果主義制度だった。
そもそも「聖徳太子」という呼び名自体、後世に広く定着した名称であり、当時は厩戸皇子などと呼ばれていた。
歴史をビジネスの教訓に使おうとすると、偉人を万能の経営コンサルタントに仕立てたくなる。
だが、それをすると記事は分かりやすくなる代わりに、歴史から離れてしまう。
むしろ、ここに経営者が学ぶべき点がある。
優れた制度とは、必ずしもリーダーがゼロから生み出したものではない。
他国や他組織の仕組みを観察し、自分たちの問題に合うように取り入れる。
複数の有力者と調整しながら導入する。
そして、今ある秩序を一度に壊さず、新しい原理を付け加えていく。
これは現代の経営改革にも通じる。
優秀な経営者とは、すべてを自分で発明する人ではない。
外から学び、自社に合わせて翻訳できる人である。
冠位十二階は「完全な実力主義」ではなかった

冠位十二階を現代の評価制度として語るとき、さらに見落としてはいけないことがある。
この制度ができたからといって、氏姓制度や有力豪族の力が消えたわけではない。
冠位十二階は、古い秩序をすべて廃止し、身分に関係なく誰でも自由に出世できる社会を実現した制度ではなかった。
当時の権力構造は依然として氏族社会を基盤としており、皇族や有力豪族の立場も強かった。
冠位を与えられた対象にも限りがあったと考えられる。
つまり、冠位十二階は現代的な意味での「完全な成果主義」ではない。
古い仕組みの上に、新しい評価軸を加えた制度だった。
だが、それは制度として弱かったという意味ではない。
むしろ、大きな組織を変える現実的な方法だったとも考えられる。
もし政権が、次のように宣言していたらどうなっただろうか。
「今日から家柄は一切関係ない」
「すべての地位を能力だけで決める」
既得権を持つ豪族から激しい反発を受けただろう。
国をまとめるどころか、権力闘争を激化させたかもしれない。
そこで古い氏姓制度をただちに破壊するのではなく、その横に個人を評価する新しい制度を置いた。
これは会社改革でも有効な考え方だ。
長年続いた年功序列を、ある日突然、完全成果主義に変える。
古参社員の役職を一斉に外し、若手を大量に抜擢する。
理屈としては正しく見えても、組織が耐えられるとは限らない。
改革は、正しい制度を作れば成功するわけではない。
人間には感情があり、これまで築いてきた立場がある。
新しい仕組みを受け入れてもらうには、古い秩序との接続が必要になる。
冠位十二階から学べるのは、成果主義の先進性だけではない。
人事制度は、組織を壊さない速度で変えなければならない。
それもまた、1400年前から変わらない現実なのだ。
冠は「給料以外の報酬」だった

冠位十二階の興味深い点は、地位が目に見える形で示されたことである。
冠を見れば、その人物が朝廷内でどの位置にいるのかが分かる。
これは単なる分類ではない。
本人にとっては、自分が朝廷から認められた証しになる。
周囲からの扱いも変わる。
上の冠位を得れば、組織の中での発言力や名誉も高まる。
現代の会社でいえば、次のようなものに近い。
- 役職
- 社内表彰
- 専門職の等級
- 優秀社員バッジ
- 社内資格
- 権限の拡大
人を働かせる報酬というと、現代ではまず給料を思い浮かべる。
もちろん、給与は重要だ。
生活に必要な報酬を十分に支払わず、「褒めれば人は働く」と考えるのは経営者側の都合にすぎない。
賃金の不足を感謝の言葉でごまかしてはいけない。
しかし一方で、給料だけで人が長期的に動き続けるとも限らない。
同じ給料を受け取っていても、次のように感じられる人と、そうでない人では仕事への向き合い方が変わる。
- 自分は必要とされている
- 以前より成長した
- 会社が自分の貢献を見ている
反対に、次のように感じていれば意欲は失われていく。
- 誰でも代わりが利く
- 何をしても評価は同じ
- 頑張っても扱いは変わらない
冠位十二階が与えたものは、物質的な利益だけではなかった。
組織の中で自分がどのように認められているかを示す、承認の可視化だった。
ここに、人が動く仕組みの重要な要素がある。
褒め言葉は、その場ではうれしい。
だが、翌日には消えてしまうこともある。
「よくやった」「助かったよ」と言われても、それが役割、権限、昇進、待遇に何も反映されなければ、社員はいずれ気づく。
この会社の褒め言葉には重みがない、と。
反対に、承認が目に見える形で残れば、それは本人の社会的な位置を変える。
冠位十二階が興味深いのは、褒めることを一時的な言葉で終わらせず、地位という形に変えたことである。
人は「今の位置」だけでなく「次の一段」が見えると動く
冠位十二階は、その名のとおり12段階に分かれていた。
一つの最高位と、その他大勢という単純な構造ではない。
細かな段階があることで、現在地と次の目標が見えやすくなる。
たとえば、現在が小礼なら、その上に大礼がある。
さらに小仁、大仁と続いていく。
もちろん、実際にどの程度頻繁な昇進が行われたのか、誰がどの基準で昇進したのかについては、現代の企業資料のような詳細な記録がそろっているわけではない。
それでも制度の構造そのものには、現代にも通じる意味がある。
人は、あまりに遠い目標だけを示されても動きにくい。
「将来は会社を背負う人材になってほしい」
「もっと経営者目線を持ってほしい」
そう言われても、具体的に明日から何を変えればいいのか分からない。
一方で、次の一段が見えていれば行動へ移しやすい。
- この業務を一人で完了できれば次の等級
- 後輩を指導できればリーダー候補
- 顧客対応の品質が一定水準に達すれば権限を拡大
- 改善提案が実行され、成果が出れば評価へ反映
こうした道筋があれば、努力と評価がつながる。
ところが多くの会社では、評価制度があっても社員から見えない。
評価項目は存在するが、抽象的である。
- 主体性
- 協調性
- 経営意識
- コミュニケーション能力
一見もっともらしいが、何をすれば高く評価されるのか分からない。
上司によって解釈も変わる。
去年は「自分で考えて動け」と言われたのに、今年は「勝手なことをするな」と叱られる。
これでは、12段階どころか、自分が階段のどこに立っているかさえ分からない。
社員に必要なのは、「もっと頑張れ」という声援ではない。
何をすれば次へ進めるのかという地図である。
最も人を腐らせるのは「低い評価」ではなく「理由の分からない評価」
評価に不満を持つ社員に対し、経営者はこう考えることがある。
「全員を高く評価するわけにはいかない」
それはそのとおりだ。
評価制度である以上、差がつくことは避けられない。
全員を最高評価にすれば、評価そのものが意味を失う。
しかし、社員を最も傷つけるのは、必ずしも低い評価そのものではない。
なぜその評価になったのか分からないことである。
期待した昇進が見送られても、次のことが具体的に説明されれば、まだ次へ進める。
- 足りなかった能力は何か
- どの行動を改善すべきか
- 次に挑戦できる時期はいつか
- 会社は何を期待しているのか
だが、次のような説明だけで終われば、社員は努力の方向を失う。
「総合的に判断した」
「もう少し様子を見たい」
「上がそう決めた」
さらに悪いのは、評価基準と実際の昇進が一致しない会社だ。
制度上は実力主義を掲げながら、実際には社長のお気に入りが昇進する。
挑戦を評価すると言いながら、失敗すると責任だけを負わされる。
チームワークを重視すると言いながら、個人売上だけで賞与が決まる。
こうした矛盾を、社員は驚くほどよく見ている。
制度があるだけでは、人は動かない。
制度と現実が一致して初めて、社員は組織を信じる。
冠位十二階も、冠を作るだけで機能したわけではないはずだ。
その冠位に社会的な意味があり、朝廷の中で実際に扱いが変わるからこそ価値を持った。
現代企業も同じである。
「あなたを評価しています」と伝えながら、仕事も権限も待遇も何も変わらないなら、それは評価ではなく慰めに近い。
社員を動かしたいなら、承認を言葉だけで終わらせてはいけない。
「公平」と「全員を同じに扱う」は違う
評価制度を導入すると、必ず不満が出る。
「あの人だけ特別扱いされている」
「自分の方が長く働いているのに」
「同じ部署なのに、なぜ評価が違うのか」
そこで経営者が恐れて、全員をほぼ同じ評価にすると、今度は努力した社員が離れていく。
公平とは、全員を同じように扱うことではない。
違いを説明できることである。
- 成果の違い
- 担った責任の違い
- 難易度の違い
- 周囲への貢献の違い
それらを見たうえで差をつけ、その理由を本人と周囲が理解できるようにする。
これが公平な評価に近い。
冠位十二階が氏族単位ではなく個人に冠位を与えた意味も、ここにある。
同じ氏族に属しているから全員同じではない。
個人を見て、その人に位置を与える。
これは、人間を一族の一部としてしか見ない制度から、一人の働き手として見る制度への小さくも大きな変化だった。
現代企業でも、次のような属性だけで評価の上限を決めてしまえば、人は挑戦しなくなる。
- 若手だから
- 契約社員だから
- 地方支店だから
- 中途採用だから
社員が欲しいのは、必ずしも全員一律の好待遇ではない。
自分の仕事を、自分の仕事として見てもらえることである。
評価制度は、社員を選別するためだけのものではない
評価制度という言葉には、冷たい印象がある。
優秀な人と、そうでない人を分ける。
成果の高い人を上げ、低い人を下げる。
会社に必要な人と、必要でない人を選別する。
もちろん、人事制度にはそうした側面もある。
だが、評価制度の本来の役割は、社員に順位をつけることだけではない。
会社が何を大切にしているかを伝えることでもある。
たとえば、売上だけを高く評価すれば、社員は売上を取りにいく。
顧客満足を評価すれば、長期的な信頼を意識する。
後輩の育成を評価すれば、知識を独占せず教えるようになる。
改善提案を評価すれば、現場から意見が出る。
逆に、口では「チームワークが大事」と言いながら、個人売上しか見なければ、社員は同僚を助けなくなる。
「失敗を恐れず挑戦しよう」と掲げながら、失敗した人だけを処罰すれば、誰も挑戦しなくなる。
社員は社長の言葉より、実際に誰が評価されたかを見ている。
評価制度は、会社から社員へ送られる強力なメッセージなのだ。
冠位十二階の冠名に「徳・仁・礼・信・義・智」という徳目が用いられたことも象徴的である。
どの程度、実際の評価基準として運用されたかは慎重に考える必要がある。
それでも、少なくとも制度の名称には、政権が望ましいと考える人間像が表れている。
高い位にふさわしいのは、単に力が強い人間ではない。
徳や仁、礼、信、義、智といった価値を備えた者である。
制度は人を分類するだけでなく、次のように宣言する役割を持つ。
私たちの組織では、このような人を重く見る。
あなたの会社では、どんな人が実際に出世しているだろうか。
顧客のために働く人か。
仲間を助ける人か。
新しいことへ挑戦する人か。
それとも、社長に反論せず、機嫌を損ねない人か。
会社が本当に大切にしている価値観は、理念集ではなく、人事に表れる。
聖徳太子の時代から学ぶ「人が動く評価制度」5つの原則
冠位十二階をそのまま現代企業へ移植することはできない。
そもそも社会構造も、働く人の権利も、企業の目的もまったく異なる。
それでも、制度の転換から読み取れる原則はある。
1.属性ではなく、個人を見る
出身、年齢、性別、雇用形態、社歴だけで将来を決めない。
同じ部署にいる社員でも、強み、成果、役割は違う。
「あの部署の人だから」「まだ入社3年目だから」という大雑把な判断ではなく、一人ひとりが実際に何をしているかを見る。
評価の第一歩は、人を集団の一部としてではなく、個人として認識することである。
2.現在地を見えるようにする
社員が、自分は現在どの水準にいるのか理解できるようにする。
何ができていて、何が不足しているのか。
感覚的な評価ではなく、具体的な行動や能力を言葉にする。
ただし、数字にできない貢献を切り捨ててはいけない。
顧客への配慮、トラブルの予防、後輩の支援など、売上表には出にくい仕事も評価対象として言語化する必要がある。
3.次の一段を示す
現在地だけ伝えても、人は動きにくい。
次の役割へ進むには何が必要なのかを示す。
「もっと成長してほしい」では曖昧すぎる。
- 月次報告を一人で完結できる
- 新人の質問へ根拠を示して回答できる
- クレーム発生後ではなく、事前に問題を予測できる
このように、次の段階を具体化する。
階段は、段差が見えるから上れる。
4.承認を形に残す
褒め言葉だけで済ませない。
重要な成果には、次のような形を与える。
- 権限
- 役割
- 報酬
- 昇進
- 学習機会
- 社内での公式な共有
ただし、表彰だけを増やして給与や労働条件の問題を覆い隠してはいけない。
承認は適正な待遇の代用品ではなく、それを補うものである。
5.制度と実際の人事を一致させる
どれほど立派な評価表を作っても、最終的に社長の好き嫌いで覆されれば意味がない。
例外を設ける場合は、その理由を説明する。
基準を変える場合は、事前に伝える。
評価者による差が大きいなら、複数人で確認する。
社員が制度を信じるかどうかは、説明資料の美しさではなく、運用の一貫性で決まる。
小さな会社ほど「社長の頭の中」を外へ出す必要がある
大企業には、人事部、等級制度、評価面談、昇進審査などがある。
もちろん、大企業の制度が常に公平とは限らない。
複雑すぎて、かえって形骸化することもある。
一方、中小企業では、そもそも評価制度らしいものが存在しない場合も多い。
社長が社員の働きを見て、その場で判断する。
人数が少ないうちは、それでも回る。
だが、社員が増えると問題が起きる。
- 社長が直接見ていない仕事は評価されない
- 口数の少ない社員の貢献は見落とされる
- 報告が上手な人ほど実際以上に高く見える
- 気が合う社員と、そうでない社員で扱いが変わる
社長本人は公平に判断しているつもりでも、社員からは基準が見えない。
この状態で「うちは実力主義だ」と言っても、社員には伝わらない。
実力主義なのではなく、社長の頭の中だけに存在する実力主義だからだ。
冠位十二階の歴史的な意味の一つは、序列を目に見える制度として示したことにある。
現代の小さな会社も、いきなり複雑な人事システムを導入する必要はない。
まずは社長の頭の中にある基準を、外へ出すことから始めればいい。
- うちの会社では、何ができる人を高く評価するのか
- 管理職には、どんな行動を求めるのか
- 売上以外に、何を貢献として見るのか
紙一枚でもいい。
言葉にし、社員と共有する。
それだけでも、「社長の気分」に見えていた評価が、「会社の基準」へ近づいていく。
明日の朝からできること
人事制度の改革というと、大がかりなプロジェクトを想像するかもしれない。
しかし、最初の一歩はもっと小さくていい。
明日の朝、社員を一人思い浮かべてほしい。
その人は最近、どんな貢献をしただろうか。
売上のように目立つ成果でなくてもいい。
- 誰かが困ったときに助けた
- ミスが起きないように事前確認した
- 顧客からの難しい要求に丁寧に対応した
- 業務を少しだけ効率化した
- 職場の雰囲気が悪いときに、間に入ってくれた
その行動を、具体的な言葉で伝えてみる。
「いつもありがとう」だけではなく、次のように伝える。
昨日の問い合わせで、すぐに回答せず、先に事実確認してくれたよね。あれで大きなクレームを防げたと思う。助かった。
そして可能なら、その承認を次の役割へつなげる。
今後、似た問い合わせが来たときの対応手順をまとめてもらえないだろうか。
これなら、褒め言葉が役割に変わる。
本人は、自分のどの行動が評価されたか分かる。
会社は、その行動を今後も大切にしたいという意思を示せる。
評価制度は、年に一度の面談だけで作られるものではない。
毎日の小さな承認の積み重ねによって、社員は会社の価値観を学んでいく。
聖徳太子が作ったのは、冠ではなく「可能性」だった
冠位十二階は、現代の成果主義とは違う。
身分社会を終わらせたわけでもない。
誰もが自由に出世できる公平な社会を完成させたわけでもない。
聖徳太子一人の完全な独創だったとも言い切れない。
それでも、冠位十二階が日本の政治史に残した意味は小さくない。
氏族の中に埋もれていた個人を取り出し、その人自身に位置を与えた。
世襲される立場とは別に、上へ進む階段を示した。
承認を目に見える冠へ変え、朝廷の中で共有した。
言い換えるなら、冠位十二階が作ったものは、12種類の冠だけではない。
今いる場所が、人生のすべてではない。
という可能性だった。
人が動くためには、精神論だけでは足りない。
「もっと頑張れ」と言われても、頑張った先に何もなければ人は疲れていく。
必要なのは、次のように信じられる仕組みである。
- 自分の仕事を見てもらえている
- 努力する方向が分かる
- 成長すれば次の場所へ進める
- 評価が言葉だけで終わらない
社員に向上心がないと嘆く前に、経営者は自分の会社を見直さなければならない。
そこには、上りたくなる階段があるだろうか。
次の段差は見えているだろうか。
それとも、どれだけ上っても、最後は社長の気分で一番下へ戻される階段になっていないだろうか。
人は、命令されたから動くのではない。
進んだ先に、自分の未来が見えたときに動き始める。
冠位十二階が1400年以上たった今も私たちに問いかけているのは、そのことなのかもしれない。
今回の「人が動く仕組み」
歴史上の人物:聖徳太子(厩戸皇子)
歴史上の制度:冠位十二階
現代へのキーワード:評価制度・承認・昇進・キャリアの可視化
経営者が持ち帰るべき3つの問い
- 社員は、何をすれば評価されるのか理解しているか
- 頑張った社員に、次の役割や成長の道を示しているか
- 実際の昇進や待遇は、会社が掲げる評価基準と一致しているか
この3つに明確に答えられないなら、社員が動かない原因は、社員の意欲ではなく制度にあるかもしれない。
次回予告――戦国武将は、なぜ「一枚の紙」のために命を懸けたのか
戦国時代、武将が家臣の働きを認めるために発行した「感状」。
そこに書かれていたのは、単なる「よく頑張った」という言葉ではなかった。
いつ、どこで、何をしたのか。
誰がその働きを見ていたのか。
一枚の紙に刻まれた具体的な記録が、家臣の誇りとなり、ときには子孫へ受け継がれる財産にもなった。
次回の「人が動く日本史」では、土地や金銭だけではない戦国時代の報酬、感状という「消えない褒め言葉」を取り上げる。