人が動く日本史

【人が動く日本史⑤】徳川吉宗は、なぜ「家柄より実力」で人を選べたのか――抜擢を可能にした足高の制<

【人が動く日本史⑤】徳川吉宗は、なぜ「家柄より実力」で人を選べたのか――抜擢を可能にした足高の制<

あなたの会社にも、こんな人はいないだろうか。

誰よりも仕事ができる。

難しい案件を任せれば、必ず結果を出す。

後輩からも上司からも信頼されている。

それなのに、なぜか昇進できない。

理由を聞けば、こう返ってくる。

「まだ年次が足りない。」

「前例がない。」

「その等級では、その役職には就けない。」

能力が足りないわけではない。

制度のほうが、その人を通さないのだ。

こうして優秀な人材ほど、自分の限界を悟る。

「この会社では、頑張っても意味がない。」

そう思った瞬間、人は挑戦をやめる。

あるいは、会社そのものを去っていく。

実は約300年前の江戸幕府も、まったく同じ問題を抱えていた。

どれほど有能でも、家柄が低ければ重要な役職には就けない。

努力より家格。

実力より血筋。

この巨大な壁に、小さな穴を開けた将軍がいる。

八代将軍・徳川吉宗である。

江戸幕府は「人」ではなく「制度」で動く組織だった

江戸幕府は「人」ではなく「制度」で動く組織だった

ここまで、この連載では何人ものリーダーを見てきた。

聖徳太子は、冠位十二階によって「評価基準」を作った。

戦国武将たちは、感状という一枚の紙で命を懸けさせた。

織田信長は、茶器という新しい価値を生み出した。

豊臣秀吉は、人を認め、人を許し、人を抜擢することで天下を取った。

ここまでは、すべて「優れたリーダーが人を動かす物語」だった。

ところが江戸時代に入ると、景色が一変する。

感状は姿を消す。

大胆な抜擢も減る。

天下人が毎日のように家臣を褒める話も、ほとんど聞かなくなる。

徳川将軍は、人を動かすことをやめたのだろうか。

答えは違う。

むしろ逆だ。

江戸幕府は、人が変わっても動く組織を作ろうとした。

戦国時代には、大名の器量がそのまま組織の強さだった。

信長だからできた。

秀吉だから人が集まった。

だから名君が死ねば、多くの組織は一気に弱くなる。

徳川家康が目指したのは、その反対だった。

将軍が凡庸でも幕府が回る。

人格ではなく制度。

感情ではなく仕組み。

誰が将軍になっても、同じように行政が動く。

それが江戸幕府だった。

これは驚くほど現代企業に近い。

優秀な社長が辞めても会社は残る。

マニュアルがある。

評価制度がある。

組織図がある。

人ではなくシステムが仕事を回している。

その意味で江戸幕府は、世界でも非常に早い段階で巨大組織の運営を完成させた存在だったのである。

完成された制度は、人を動かさなくなる

完成された制度は、人を動かさなくなる

もちろん、その仕組みには大きなメリットがあった。

誰が何を担当するか。

どこまで出世できるか。

どのくらいの給与を受け取るか。

それらが最初から決められている。

だから混乱しない。

公平でもある。

だが、どんな制度にも副作用はある。

江戸幕府では、家格によって就ける役職がおおよそ決まっていた。

能力があっても、家柄が低ければ重要な役職には就けない。

つまり、最大の承認である「抜擢」がほとんどできなくなった。

前回、豊臣秀吉の回で見たように、抜擢とは、

「あなたの未来に、組織の一部を賭ける」

という最も強い承認だった。

ところが江戸幕府では、

「能力は十分だが家柄が足りない」

という理由だけで、そのカードを切れない。

では、家禄を増やせばいいではないか。

そう思うかもしれない。

ところが、それも簡単ではなかった。

家禄は、その家に与えられるものだ。

一度増やせば、本人が辞めても、子どもが無能でも、孫の代までその家禄は残る。

つまり、一度の抜擢が未来永劫続く固定費になってしまう。

これは現代企業にも似ている。

管理職へ昇進させる。

給与を大きく上げる。

もし期待外れでも、簡単には元へ戻せない。

だから人事は慎重になる。

安全な人だけを選ぶ。

前例通りに動く。

結果として、能力より年功。

挑戦より安定。

そんな組織ができあがってしまう。

吉宗自身が、「前例の外側」にいた

吉宗自身が、「前例の外側」にいた

ここで登場するのが、徳川吉宗である。

吉宗は、生まれながらの本流ではなかった。

紀州徳川家の四男。

本来なら将軍になる予定などなかった人物だ。

兄たちが相次いで亡くなったことで紀州藩主となり、さらに将軍家に後継者がいなくなったことで、八代将軍に迎えられた。

言い換えれば、吉宗自身が「想定外の抜擢」で人生を変えた人物だった。

だからこそ、家柄だけで人を評価する制度の限界も、誰より理解していたのかもしれない。

完成した制度は壊したくない。

しかし、このままでは優秀な人材が埋もれてしまう。

制度を守りながら、能力ある人材を生かす方法はないのか。

吉宗は、その答えを考え続けた。

そして1723年。

たった一つの制度を生み出す。

その名が、足高の制(たしだかのせい)である。

「足高の制」という、小さな工夫

「足高の制」という、小さな工夫

名前だけ聞くと難しそうだが、仕組みは驚くほど単純だった。

役職ごとに、

「この仕事には、これだけの石高が必要」

という基準を決める。

もし能力は十分なのに、家禄が足りない人がいたら、不足分だけをその役職についている間だけ追加で支給する。

役職を離れれば、追加分も終わる。

家禄そのものは変わらない。

たった、それだけである。

しかし、この「それだけ」が、江戸幕府の人事を大きく変えることになる。

「たった一つ」の制度が、人事を変えた

「たった一つ」の制度が、人事を変えた

一見すると、足高の制は単なる給与制度の変更にしか見えない。

だが実際には、吉宗はこの制度によって三つの壁を同時に壊していた。

第一に、「家柄の壁」である。

これまでの江戸幕府では、

「能力は十分だが、家禄が足りない」

という理由だけで重要な役職を諦めなければならない人がいた。

しかし足高の制によって、在職中だけ不足分を補えばいい。

家柄は変えない。

それでも能力ある人を登用できる。

つまり吉宗は、家柄を否定することなく、実力が通る道を作った。

革命ではない。

制度の一部を書き換えただけだった。

しかし、その小さな変更が、人の未来を大きく変えることになる。

第二に、「財政の壁」である。

もし吉宗が従来通り加増だけで対応していたらどうなっていただろう。

一人を抜擢するたび、その家は代々高い家禄を受け取り続ける。

つまり人事を行うたびに、幕府は永久に人件費を抱えることになる。

これは現代企業でも同じだ。

昇格と同時に給与を大きく上げる。

その後、期待した成果が出なくても、簡単には下げられない。

だから企業は慎重になる。

「失敗しそうな人材」ではなく、「無難な人材」しか選ばなくなる。

ところが足高は違う。

役職を離れれば終わる。

つまり、人を評価することと、永久にコストを負うことを切り離した。

これは非常に画期的な発想だった。

そして第三に、「挑戦の壁」である。

実は、これが最も重要だ。

多くの人は、

「吉宗は大胆だった」

と思っている。

もちろんそれもある。

しかし本当に大胆だったのは、人事ではない。

制度設計だった。

考えてみてほしい。

もし一度抜擢したら絶対に戻せないなら、誰だって慎重になる。

失敗できない。

だから挑戦しない。

しかし足高なら、もし期待外れだったとしても、役職を解けば元へ戻るだけで済む。

つまり、挑戦できる制度になったのである。

大胆な人事は、勇気だけでは続かない。

失敗してもやり直せる仕組みがあるからこそ、何度でも挑戦できる。

これは現代企業にもそのまま当てはまる。

管理職を終身制ではなく任期制にする。

プロジェクトリーダーを期間限定で任せる。

役職手当を役割に応じて支給する。

こうした制度は、300年前の吉宗がすでに考えていた発想なのである。

大岡忠相という「制度が生んだ名奉行」

制度の価値は、実際に使われて初めて証明される。

その代表例が、大岡越前守として知られる大岡忠相だった。

忠相の家禄は1920石。

しかし町奉行に必要とされたのは3000石だった。

従来なら、

「家柄が足りない」

この一言で終わっていた。

ところが吉宗は違った。

不足する1080石を、町奉行を務めている間だけ支給した。

つまり、家柄ではなく、仕事に報酬を払った。

この考え方が非常に新しい。

忠相はその期待に応え、約20年にわたって江戸の町政を支えた。

町火消の整備。

小石川養生所の設立。

都市行政の改善。

後世、

「名奉行」

と呼ばれる仕事の多くは、この抜擢があったからこそ実現したのである。

もし足高の制がなければ、忠相は一生、

「優秀だけど家柄が足りない人」

で終わっていたかもしれない。

つまり吉宗は、一人の人材を救っただけではない。

江戸という巨大都市そのものを、より良い方向へ動かしたのである。

ここから分かることがある。

人を変えるのは、人事である。

そして、

人事を変えるのは、制度である。

本当に人を動かしたのは、「声を聞く仕組み」だった

吉宗の改革は、足高の制だけでは終わらない。

もう一つ、現代にも通じる改革がある。

目安箱である。

江戸城に箱を置き、庶民が将軍へ直接意見を書けるようにした。

しかし重要なのは、箱を置いたことではない。

読んだことだ。

さらに重要なのは、

動いたことだ。

町医者・小川笙船が提案した、貧しい人々のための医療施設。

吉宗はその提案を採用し、大岡忠相へ命じ、小石川養生所が誕生した。

この出来事は、庶民へ強烈なメッセージを送った。

「この箱は、本当に将軍へ届く。」

組織において、これほど強い承認はない。

自分の声で、組織が変わった。

そう実感した人は、その組織の当事者になる。

逆に、

読まれないアンケート。

返事のない提案箱。

形だけの意見募集。

これほど信頼を失うものもない。

聞くだけなら、最初から聞かない方がいい。

吉宗は、

「聞くこと」ではなく、

「聞いて動くこと」

の価値を知っていたのである。

現代のリーダーは、吉宗から何を学べるのか

徳川吉宗が残した最大の功績は、単に幕府の財政を立て直したことではない。

優秀な人材が埋もれない仕組みを作ったことだ。

しかも、それは革命ではなかった。

制度を壊したわけでもない。

家格制度を否定したわけでもない。

ほんの少しだけ、制度を修正した。

その小さな工夫が、多くの人の可能性を広げたのである。

では、現代の私たちは何を学べるだろうか。

1.「人」ではなく「役割」に報酬を払う

多くの会社では、一度昇給すると下げられない。

だから昇進に慎重になる。

しかし吉宗は違った。

「この役割を担っている間だけ評価する」

という考え方だった。

現代なら、

  • 役職手当
  • プロジェクト手当
  • 期間限定リーダー
  • 専門職手当

などがこれに近い。

つまり、人そのものではなく、現在担っている責任に報酬を与える。

そうすれば若手にもチャンスを与えやすくなる。

2.抜擢は「戻せる」ように設計する

会社では、

「まだ早い」

という言葉をよく聞く。

しかし本当に問題なのは、早いことではない。

戻せないことだ。

もし失敗したら、降格させにくい。

給与も下げにくい。

だから最初から挑戦させない。

これでは、組織はどんどん高齢化していく。

吉宗は、在職中だけ評価することで、失敗しても元へ戻れる制度を作った。

だから思い切った人事ができた。

挑戦する人材を増やしたいなら、必要なのは根性論ではない。

挑戦できる制度設計なのである。

3.評価基準は、できるだけ見える化する

吉宗は、役職ごとの役高を明文化した。

つまり、

「この仕事には、これだけの価値がある」

を誰でも分かるようにした。

会社でも同じだ。

何をすれば昇進できるのか。

どんな能力が必要なのか。

評価基準が曖昧だと、人は努力する方向を失う。

逆に基準が明確なら、若手でも

「ここを目指そう」

と思える。

評価とは、結果を伝えることではない。

努力の方向を示すことでもある。

4.意見を集めるなら、必ず一つは形にする

会社には、提案制度がある。

アンケートもある。

目安箱もある。

しかし、何も変わらない。

そんな会社は少なくない。

それでは、社員は二度と本音を書かなくなる。

吉宗の目安箱が信頼された理由は、箱を置いたからではない。

実際に政策へ反映したからだった。

一件でも採用されれば、

「あの箱は本物だ」

という信用が生まれる。

百件集めるより、一件実現する。

その方が、組織への信頼は何倍も大きくなる。

まとめ──制度は、人を縛るためではなく、人を生かすためにある

徳川家康は、戦国時代の混乱を終わらせるため、強固な制度を築いた。

そのおかげで、江戸幕府は260年以上続く長期政権となった。

しかし、どんな優れた制度も、完成した瞬間から少しずつ硬直していく。

昨日まで組織を守っていた仕組みが、明日には人材を縛る壁になることもある。

吉宗が偉大だったのは、その壁を壊したからではない。

壁に、一人が通れる穴を開けたことだった。

能力がある人が、能力を発揮できるように。

努力した人が、努力を報われるように。

制度を否定するのではなく、制度を進化させた。

そして、この考え方は今でも色あせていない。

会社にも、学校にも、行政にも、長く続く組織ほど、

「昔からこうだから」

という理由だけで残っている制度がある。

それを全部壊す必要はない。

けれど、本当に必要な人が通れない壁になっているなら、吉宗のように、ほんの少しだけ穴を開けてみる。

その小さな改善が、十人の人生を変え、百人の組織を変え、やがて時代そのものを変えていく。

人を動かすのは、優れたリーダーだけではない。

人が力を発揮できる制度もまた、人を動かす。

それを300年前に証明したのが、八代将軍・徳川吉宗だった。

次回予告

徳川吉宗は、制度を変えることで人を動かした。

しかし、次回の主人公には、制度を変える余裕すらなかった。

財政は破綻寸前。

配る褒美もない。

昇給もできない。

それでも人々の心を動かし、藩を立て直した男がいる。

上杉鷹山。

「なせば成る」という言葉だけが有名だが、本当にすごかったのは精神論ではない。

何も与えられない状況で、人を動かしたリーダーシップである。

次回は、米沢藩再建の物語から、

「お金がなくても人は動くのか」

という問いに迫っていこう。