人が動く日本史

【人が動く日本史⑥】上杉鷹山は、なぜ「お金がなくても人を動かせた」のか――組織を変えた信頼の正体

【人が動く日本史⑥】上杉鷹山は、なぜ「お金がなくても人を動かせた」のか――組織を変えた信頼の正体

ある日突然、あなたが会社の社長に任命されたとする。

社員は約六千人。

会社は何十年も赤字が続き、借金は年商の何倍にも膨れ上がっている。

銀行からは見放され、取引先からも「あの会社はもう長くない」と噂されている。

ボーナスを出す余裕はない。

昇給もできない。

福利厚生を充実させるどころか、社員の給料を減らさなければ会社そのものが潰れてしまう。

社員たちも、すでに希望を失っている。

「どうせこの会社は終わりだ」

「誰が社長になっても同じだ」

そんな空気が、組織全体を覆っている。

さて、あなたならどうするだろうか。

社員のやる気を引き出すために、何を与えるだろう。

給料だろうか。

ボーナスだろうか。

昇進だろうか。

しかし、それらは一つも使えない。

配るものが、何もないのである。

実は約250年前、本当にこれとよく似た状況から、破綻寸前の組織を立て直した人物がいる。

上杉鷹山である。

しかも、藩主となったとき、彼はまだ17歳だった。

「何もない」から始まった17歳のリーダー

「何もない」から始まった17歳のリーダー

上杉鷹山は、宝暦元年(1751年)、日向国高鍋藩主・秋月種美の次男として生まれた。

幼名は松三郎。のちに上杉家の養子となり、名を治憲と改める。

そして明和4年(1767年)、わずか17歳で米沢藩第九代藩主となった。

だが、若き鷹山が引き継いだ米沢藩は、名門大名の華やかなイメージとは程遠い状態にあった。

かつて上杉家は、戦国時代に約120万石を領した大大名だった。

しかし関ヶ原の戦いの後、領地は30万石へ減らされ、さらに跡継ぎをめぐる問題によって15万石まで縮小された。

会社に例えるなら、売上が最盛期の八分の一にまで落ち込んだようなものである。

普通であれば、事業規模に合わせて組織も小さくする。

社員を減らし、固定費を削り、身の丈に合った経営へ切り替える。

そうしなければ会社は生き残れない。

ところが、上杉家にはそれができなかった。

「謙信公以来の名門」という誇りがあった。

領地を大幅に減らされても、多くの家臣を解雇せず、約六千人ともいわれる家臣団を抱え続けたのである。

収入は八分の一。

しかし、人件費や組織の規模はほとんど変わらない。

これで経営が成り立つはずがない。

藩の借金は約20万両にまで膨れ上がったとされる。

現代の金額へ正確に換算することは難しいが、当時の米沢藩にとって、到底返済できる見込みのない巨額の負債だった。

一時は、藩そのものを幕府へ返上する案まで検討されたという。

すでに「再建」ではなく、「廃業」が現実味を帯びていたのである。

そこへ送り込まれたのが、九州の小藩から養子に入った17歳の少年だった。

経験はない。

藩内に強い人脈があるわけでもない。

自由に使える資金もない。

現代なら、高校を卒業したばかりの若者が、巨額の借金を抱えた大企業の社長に就任するようなものだ。

しかも社内には、年齢も経験も家柄も、自分よりはるかに上の重役たちが並んでいる。

想像しただけでも、胃が痛くなる状況である。

人は、本当にお金だけで動くのか

人は、本当にお金だけで動くのか

ここまでの「人が動く日本史」では、さまざまな人物や制度を取り上げてきた。

聖徳太子は、冠位十二階によって、家柄だけではなく能力や功績が評価される仕組みを作った。

戦国武将たちは、一枚の感状によって、命懸けで戦った者の働きを後世へ残した。

織田信長は、茶道具に土地にも匹敵する価値を与え、人々の欲望そのものを書き換えた。

豊臣秀吉は、人を惜しみなく認め、未来を託すことで、多くの人材を味方につけた。

徳川吉宗は、足高の制によって、家柄が低くても実力ある者を重要な役職へ登用できる仕組みを整えた。

方法はそれぞれ異なる。

だが、彼らには共通点があった。

人が、何によって動くのかを理解していた。

では、上杉鷹山はどうだったのか。

彼には、与えられる土地がない。

加増する財力もない。

華やかな褒美を配る余裕もない。

新しい役職を大量に作ることもできない。

まさに、原資ゼロからの改革だった。

普通に考えれば、人は動かない。

現代の職場でも、給料や待遇への不満は、離職や意欲低下の大きな原因になる。

「これだけ働いているのに、給料が上がらない」

「成果を出しても、賞与に反映されない」

「頑張っても昇進できない」

こうした不満を、精神論だけで押さえ込むことはできない。

生活がある以上、お金は重要である。

正当な賃金や待遇を軽視してよいわけではない。

しかし一方で、私たちは別の現実も知っている。

高い給料をもらっていても、会社を辞める人がいる。

反対に、決して待遇がよいとはいえなくても、長く働き続ける人がいる。

条件だけを見れば、もっとよい職場がある。

それでも、その場所を離れない。

その違いは、どこから生まれるのだろう。

上杉鷹山の改革は、その問いに一つの答えを示している。

人は、お金だけで動くのではない。

「この人となら苦しい状況を乗り越えられる」と思えたとき、人は自ら力を貸す。

鷹山が人々へ与えたものは、金銭ではなかった。

まず、自分の覚悟を見せた。

最初に改革したのは、藩ではなかった

最初に改革したのは、藩ではなかった

藩主となった鷹山が、最初に改革したもの。

それは財政制度でもなければ、人事制度でもなかった。

自分自身の生活だった。

鷹山は、藩主の生活費を大幅に削減した。

それまで年間1500両ほど使われていた藩主の生活費を、約200両まで減らしたとされる。

豪華な衣服を避け、食事も一汁一菜を基本とした。

身の回りの世話をする奥女中も大幅に減らした。

江戸と米沢を往復する参勤交代の行列も簡素化した。

藩主という立場に甘んじて、豪華な暮らしを続けることもできただろう。

財政が苦しいといっても、庶民や下級家臣ほど生活に困るわけではない。

だが、鷹山はそれを選ばなかった。

人に節約を求める前に、自分が最も大きな負担を引き受けた。

さらに鷹山は、自ら鍬を持って田畑を耕す「籍田の礼」も行った。

武士、それも藩主が農作業をする。

当時としては、極めて異例の行動だった。

もちろん、藩主一人が畑を耕したところで、藩全体の米の収穫量が劇的に増えるわけではない。

財政赤字が、それだけで解消するわけでもない。

だが、鷹山が本当に耕そうとしていたのは、田畑だけではなかった。

人々の心だった。

「殿様は、自分だけ楽をしようとしていない」

「私たちに苦労を押し付けるだけではない」

「誰より先に、自分の生活を削っている」

その姿は、どれほど立派な演説よりも強い説得力を持った。

人は、「正しい人」だからついていくのではない

人は、「正しい人」だからついていくのではない

世の中には、正しいことを言う人がたくさんいる。

「無駄な経費を削減しよう」

「もっと生産性を上げよう」

「会社のために、今は我慢してほしい」

どれも、経営上は間違っていない。

しかし、その言葉を発している本人だけが高い報酬を受け取り、豪華な生活を続けていたら、部下はどう感じるだろう。

表面上は従っても、心まではついてこない。

人は、正論だけでは動かない。

話している人間の行動と、言葉が一致しているかを見ている。

人は、「正しいことを言う人」ではなく、「自分より先に覚悟を示した人」についていく。

トップだけが豪華な食事をしながら、

「全員で節約しよう」

と言っても、その言葉には重みがない。

反対に、自分の待遇を真っ先に削り、誰よりも質素な生活をしながら、

「一緒にこの危機を乗り越えてほしい」

と頭を下げたなら、その言葉はまったく違って聞こえる。

鷹山は、肩書だけでは人の心をつかめないことを知っていた。

藩主であるという理由だけで、家臣や領民が本気になってくれるわけではない。

言葉に重みを持たせるには、日々の行動によって信用を積み上げなければならない。

人の心にも「残高」がある

人の心にも「残高」がある

銀行口座には、お金が貯まる。

では、人の心には何が貯まるのだろうか。

それを、ここでは「信頼残高」と呼びたい。

約束を守る。

責任から逃げない。

都合の悪いことも、きちんと説明する。

現場へ足を運ぶ。

苦しいときほど、自分が先に負担を引き受ける。

部下の功績を横取りせず、正当に評価する。

そうした小さな行動が、一つずつ心の口座へ積み立てられていく。

反対に、約束を破る。

失敗の責任を部下へ押し付ける。

自分だけ得をする。

言っていることと、やっていることが違う。

こうした行動が続けば、残高は少しずつ減っていく。

そして残高が底をついたとき、人はそのリーダーのためには動かなくなる。

命令された仕事だけをこなし、余計な提案をしなくなる。

困っていると気づいても、助けようとしなくなる。

表面上は組織に残っていても、心はすでに離れている。

鷹山は、財政を立て直す前に、人々の心にある残高を増やそうとした。

そのために、まず自分の暮らしを削った。

鍬を持った。

汗を流した。

そして、言葉より先に行動を見せた。

鷹山の改革は、金庫の残高がほとんどない状態から始まった。

だが、人々の心に積み立てることのできる資産だけは、残されていたのである。

信頼は、毎日の「積み立て」でできている

信頼残高という考え方は、決して特別なものではない。

私たちは日常生活の中でも、無意識のうちに同じことをしている。

約束を守る人には、また仕事をお願いしたくなる。

時間を守る人には、安心して任せられる。

失敗を素直に認める人には、「次も頑張ってみよう」と思える。

反対に、一度や二度なら許せても、それが何度も続けば少しずつ信用は失われていく。

信頼とは、大きな出来事で一気に生まれるものではない。

毎日の小さな行動が積み重なった結果なのである。

鷹山は、そのことを誰よりも理解していた。

だから改革を急がなかった。

まず人々の心に、「この人なら信じられる」という土台を築くことから始めたのである。

「藩主が畑を耕している」——その姿が組織を変えた

鷹山が自ら鍬を持ち、田畑を耕した話は、現代人から見ると少し不思議に思えるかもしれない。

藩主が一人で農作業をしたところで、生産量が劇的に増えるわけではない。

財政赤字が改善するわけでもない。

数字だけを見れば、ほとんど意味のない行動だった。

しかし、組織は数字だけで動いているわけではない。

人は、人を見ている。

「あの殿様は、自分だけ楽をしていない。」

「誰より先に汗を流している。」

「口だけではない。」

そんな評判は、家臣や領民の間へ少しずつ広がっていった。

会社でも同じではないだろうか。

繁忙期になると、社長や部長が現場へ顔を出す。

一緒に荷物を運ぶ。

現場で汗を流す。

たった数時間だったとしても、その姿は社員の記憶に残る。

「この人は本気なんだ。」

そう思えた瞬間、人の心は少しだけ動く。

リーダーが最初に動けば、人は安心して二歩目を踏み出せる。

鷹山が耕していたのは田畑ではない。

人々の心だったのである。

人は「任せられた」とき、本当の力を発揮する

鷹山には、お金がなかった。

だから給料を上げることもできない。

豪華な褒美を配ることもできない。

では、何を与えたのか。

信頼である。

鷹山は、家柄だけで人を判断しなかった。

能力があると見込んだ人物には、大きな仕事を任せた。

改革を支えた莅戸善政も、その一人だった。

彼は藩政改革の中心人物として重用され、鷹山の右腕となって活躍する。

ここで重要なのは、「役職を与えた」ということではない。

「あなたならできる」と信じたことである。

人は、給料が上がったから頑張るのではない。

「君に任せたい。」

そう言われた瞬間、自分の中に眠っていた力が目を覚ます。

思い返してみてほしい。

学校で先生から、「君ならできる。」と言われたことはないだろうか。

仕事で上司から、「この案件は君に任せたい。」と言われたことはないだろうか。

その一言だけで、不思議なくらい力が湧いてきた経験は、多くの人にあるはずだ。

任せるとは、仕事を渡すことではない。

未来を預けることなのである。

細かく管理する上司と、信じて任せる上司

現代の職場には、大きく分けて二種類の上司がいる。

一人は、何でも細かく指示を出す上司。

「これはこうして。」

「まず私に確認して。」

「勝手に判断しないで。」

一見すると親切に見えるが、部下は次第に考えなくなる。

「言われたことだけやればいい。」

そんな受け身の組織になってしまう。

もう一人は違う。

方向性だけを示し、あとは任せる。

困ったときには助ける。

しかし最初から答えは教えない。

失敗も成長の一部として受け止める。

さて、どちらの組織が強くなるだろうか。

もちろん後者である。

鷹山もまた、現場の知恵を信じた。

養蚕を広げる。

米沢織を育てる。

漆や紅花など、新しい産業を育成する。

方向性は示した。

しかし、細かなやり方までは現場へ任せた。

「現場には現場の知恵がある。」

その考え方が、改革を支える大きな力となったのである。

「してみせて、言って聞かせて、させてみる」

鷹山の教えとして伝えられる言葉に、次のようなものがある。

してみせて、言って聞かせて、させてみる。

後に山本五十六が、

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」

という言葉へ発展させたことで、広く知られるようになった。

だが、この言葉で最も大切なのは最後ではない。

「させてみる」である。

まず自分が手本を見せる。

理由を説明する。

そして、相手を信じて任せる。

この順番だからこそ、人は「利用されている」のではなく、「期待されている」と感じる。

期待される人は、自分でも驚くほど成長する。

鷹山は、人を育てるとは命令することではなく、信じて任せることだと知っていたのである。

名前を呼ばれた人は、その日を忘れない

大きな組織には、光が当たりやすい人と、当たりにくい人がいる。

目立つ成果を上げる人。

大きな仕事を成功させる人。

人前で話す機会の多い役職者。

そうした人たちは、比較的評価されやすい。

しかし、組織を本当に支えているのは、目立つ人ばかりではない。

毎日決まった時間に職場を整える人。

誰も見ていないところで、道具を手入れする人。

困っている仲間へ、さりげなく手を差し伸べる人。

派手な功績はなくても、長年にわたって誠実に働き続ける人。

そうした人々がいなくなれば、どれほど立派な組織でも回らなくなる。

鷹山は、目立たない場所で努力する人々にも目を向けた。

孝行者や勤勉な農民、地域のために尽くした者を調べ、藩として表彰したのである。

与えられた褒美は、必ずしも豪華なものではなかった。

米や金品が与えられることはあっても、それだけで人生が変わるほどの額ではない。

それでも、表彰された人々は大きな喜びを感じたはずである。

なぜなら、そこには金額では測れない価値があったからだ。

「殿様が、自分の働きを知ってくれていた。」

それだけである。

しかし人にとって、「見てもらえていた」という事実は、想像以上に大きい。

現代の会社でも同じだろう。

ある日、普段ほとんど話す機会のない社長から名前を呼ばれる。

「いつもありがとう。」

「あなたの仕事が、会社を支えている。」

給料が上がるわけではない。

役職が付くわけでもない。

それでも、その言葉を何年も覚えている人は少なくない。

人は、褒美そのものよりも、

「自分の存在に気づいてもらえたこと」

に心を動かされるのである。

「見ている」という言葉が、人を支える

人は、自分の努力が誰にも見られていないと感じると、次第に力を失っていく。

どれだけ頑張っても反応がない。

うまくできて当然と思われる。

失敗したときだけ注意される。

そんな状態が続けば、やがてこう考えるようになる。

「どうせ頑張っても同じだ。」

その瞬間、組織から活力が消えていく。

反対に、たった一人でも見てくれている人がいれば、人は踏ん張ることができる。

先生が見てくれている。

親が見てくれている。

仲間が見てくれている。

上司が努力に気づいてくれている。

その事実が、苦しいときの支えになる。

人を認めるとは、いつも大げさに褒めることではない。

仕事の結果だけを評価することでもない。

「あなたの働きを、私は見ています。」

そう伝えることである。

鷹山は、大きな成果を出した人物だけではなく、日々の誠実な行いにも光を当てた。

その積み重ねによって、米沢藩には、

「この藩では、真面目に働く人間が報われる。」

という空気が生まれていった。

リーダーは「誰を褒めるか」で組織の文化を作る

組織の文化は、壁に掲げられた社訓だけで作られるものではない。

トップが誰を評価し、どのような行動を称えるかによって作られる。

売上だけを褒めれば、数字だけを追う組織になる。

長時間働く人ばかりを評価すれば、残業することが努力の証明になる。

失敗しない人だけを褒めれば、誰も新しいことへ挑戦しなくなる。

声の大きい人ばかりを重用すれば、静かに考える人の意見は消えていく。

反対に、挑戦した人を認める。

仲間を助けた人を認める。

目立たなくても、誠実に仕事を続ける人を認める。

そうすれば、組織全体が少しずつ同じ方向へ動き始める。

リーダーは、言葉だけで文化を作るのではない。

誰に光を当てるかによって、組織の価値観を作るのである。

鷹山による表彰は、単に善行を褒めるためのものではなかった。

「米沢藩は、どのような人を大切にするのか。」

その基準を、領民全体へ示す行為でもあったのである。

人は、リーダーが「誰に頭を下げるか」も見ている

鷹山の人柄を表す出来事として、恩師・細井平洲を米沢へ迎えたときの話が知られている。

平洲は、若い鷹山へ学問を教え、藩主としての心構えに大きな影響を与えた人物だった。

平洲が米沢を訪れた際、鷹山は藩主でありながら、自ら城下の外まで迎えに出たという。

当時の身分秩序を考えれば、非常に印象的な行動である。

藩の中で最も高い地位にいる人物が、一人の師を敬い、頭を下げる。

その姿を見た家臣たちは、何を感じただろうか。

社員は、社長が誰を褒めるかを見ている。

同時に、社長が誰を敬い、誰に頭を下げるかも見ている。

立場の強い人にだけ丁寧な態度を取る。

自分より下だと思った相手には横柄に振る舞う。

そんな態度は、どれほど美しい理念を掲げても隠すことができない。

鷹山は、師に対する敬意を行動によって示した。

その姿は、家臣たちへ一つの価値観を伝えた。

「この藩では、地位の高さよりも、学ぶ姿勢を尊ぶ。」

百回の訓示よりも、一度の行動のほうが強く伝わる。

リーダーの振る舞いそのものが、組織にとって最も影響力のある教材なのである。

しかし、優しいだけでは組織を守れない

ここまで読むと、鷹山は人を信じ、褒め、任せ続けた温厚なリーダーだったように見えるかもしれない。

だが、鷹山の改革は、優しさだけで進められたものではない。

組織を変えようとすれば、必ず反発が起きる。

古いやり方によって利益を得ていた人。

自分の立場が失われることを恐れる人。

変化そのものを嫌う人。

どの時代にも、改革へ抵抗する勢力は存在する。

米沢藩でも、鷹山の改革に強く反対する重臣たちが現れた。

彼らは連名で訴状を提出し、改革の中止と側近の罷免を迫った。

これが、のちに「七家騒動」と呼ばれる事件である。

相手は、長年にわたり藩政へ影響力を持ってきた有力な家臣たちだった。

年齢も経験も、若い鷹山をはるかに上回る。

彼らの要求を受け入れれば、目の前の対立を避けることはできたかもしれない。

藩内の混乱も、一時的には収まっただろう。

しかし、その代わりに改革は骨抜きになる。

鷹山を信じて動き始めた人々も、失望する。

「結局、力の強い者には逆らえないのか。」

「真面目に取り組んでも、古い権力には勝てないのか。」

そう思わせた瞬間、これまで積み上げてきた信用は崩れてしまう。

鷹山は、改革を守る道を選んだ。

反対派の中心人物には、隠居や閉門などの厳しい処分を下した。

人を信じる鷹山が、なぜ厳しい決断をしたのか。

それは、改革へ協力してきた家臣や領民を守るためだった。

努力する人が、抵抗する人によって報われなくなる組織では、誰も本気で努力しなくなる。

真面目な人ほど我慢を重ねる。

誠実な人ほど争いを避ける。

その結果、声の大きい人や、変化を妨げる人ばかりが得をする。

そんな状態を放置すれば、組織は静かに腐っていく。

リーダーには、褒める勇気が必要である。

任せる勇気も必要である。

しかし同時に、

本気で働く人を守るため、反対を押し切る勇気

も必要なのである。

信頼とは「何でも許すこと」ではない

信頼することと、甘やかすことは違う。

任せることと、放置することも違う。

優しいリーダーであろうとするあまり、問題行動を見て見ぬふりをする。

周囲へ悪影響を与えている人へ、何も言わない。

対立を恐れ、必要な決断を先送りする。

それは優しさではない。

問題によって苦しんでいる人へ、負担を押し付けているだけである。

鷹山は、人の可能性を信じた。

しかし、藩全体を守るために必要であれば、厳しい処分もためらわなかった。

だからこそ、彼の優しさには重みがあった。

何でも許す人の言葉ではない。

守るべきものを守る覚悟を持った人の言葉だったからである。

本当の信頼とは、相手に嫌われないことではない。

守るべき人を守り、果たすべき責任を果たすことである。

すぐに成果が出なくても、改革をやめなかった

鷹山の改革は、始めればすぐに藩の財政が好転するような簡単なものではなかった。

長年積み上がった借金。

衰えた産業。

働く意欲を失った人々。

一度弱った組織を立て直すには、長い時間がかかる。

養蚕や織物などの産業を育てても、すぐに大きな利益が出るわけではない。

新しい作物を植えても、収穫までには時間が必要である。

人々の考え方を変えるには、さらに長い年月がかかる。

改革の途中には、天候不順や凶作もあった。

思いどおりに進まないことも少なくなかった。

それでも鷹山は、短期間の成果だけを求めなかった。

自分の代だけですべてを完成させようとも考えなかった。

人を育てる。

産業を育てる。

次の世代へ考え方を残す。

時間をかけて、組織そのものを強くしようとした。

彼が目指したのは、藩主一人の力で動く米沢藩ではない。

藩主がいなくても、人々が自ら考え、動き続けられる藩だったのである。

「伝国の辞」が示した、リーダーの役割

鷹山は家督を譲る際、後継者へ三つの心得を残した。

それが「伝国の辞」である。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべきものにはこれなく候

一、人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものにはこれなく候

一、国家人民のために立たる君にして、君のために立たる国家人民にはこれなく候

現代の言葉に置き換えるなら、次のような意味になる。

藩は、藩主一人の私物ではない。

領民もまた、藩主が自由に扱ってよい存在ではない。

藩主は、藩と領民のために存在している。

江戸時代は、身分制度が厳しく、藩主が領地と領民を支配することが当然と考えられていた時代である。

その中で鷹山は、藩主の地位を特権ではなく、責任として捉えた。

現代の会社にも、そのまま当てはめることができる。

会社は、社長が好き勝手に扱うためのものではない。

部署は、部長の権力を示すためのものではない。

部下は、上司の評価を高めるためだけに存在するのではない。

組織は、そこに関わる人々の力によって成り立っている。

だからリーダーとは、最も偉い人ではない。

最も大きな責任を引き受ける人なのである。

鷹山が自分の生活を最初に削った理由も、ここにある。

自分が先に動いた理由も、現場の人々へ目を向けた理由も同じだ。

藩主は領民の上に立ち、利益を吸い上げる存在ではない。

領民が安心して暮らせるようにするため、責任を負う存在である。

その考え方が、鷹山の改革の根底に流れていた。

リーダーの仕事は、人を無理に動かすことではない

「人を動かす方法」と聞くと、私たちはついテクニックを探してしまう。

どのように話せば、部下が納得するのか。

どのように褒めれば、やる気を出すのか。

どのように指示すれば、思いどおりに働くのか。

しかし鷹山の生涯を見ると、もっと根本的なことが見えてくる。

リーダーの仕事は、人を思いどおりに操ることではない。

人が自分から動きたくなる環境を作ることである。

そのために、鷹山は自分が先に動いた。

誰よりも早く負担を引き受けた。

現場へ足を運んだ。

人を信じて仕事を任せた。

目立たない努力にも気づき、光を当てた。

そして必要なときには、組織を守るために厳しい決断を下した。

どれか一つだけではない。

日々の振る舞いのすべてが積み重なり、

「この人となら、一緒に頑張れる。」

という思いを人々の中に育てていった。

鷹山は、人を動かそうとしたのではない。

まず自分が動き、その姿を見た人々が、自ら動き始めたのである。

「為せば成る」は、一人で頑張れという言葉なのか

上杉鷹山といえば、次の言葉が広く知られている。

為せば成る
為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の
為さぬなりけり

一般には、

「やればできる。」

「行動しなければ、何も始まらない。」

という意味で受け取られている。

もちろん、それも間違いではない。

しかし鷹山の人生を最後まで見ていくと、この言葉は単なる精神論ではないことが分かる。

鷹山は、一人で米沢藩を立て直したわけではない。

改革を支えた家臣がいた。

新しい産業へ挑戦した農民がいた。

技術を磨いた職人がいた。

教えを広めた人がいた。

苦しい生活に耐えながら、藩の未来を信じた人々がいた。

彼らがいなければ、何も成し遂げることはできなかった。

鷹山が最初にしたことは、

「私一人についてこい」

と命令することではなかった。

人々を信じ、任せ、努力を見つけ、責任を引き受けることだった。

その姿を見た人々もまた、鷹山を信じた。

そして、自分にできることを始めた。

為せば成る。

しかし、人が何かを為すためには、「自分ならできる」と信じてくれる誰かが必要なこともある。

人は、信じられたときに勇気を持つ。

任されたときに責任感を持つ。

見てもらえていると感じたときに、もう一歩だけ頑張ることができる。

だから「為せば成る」という言葉の前には、目には見えないもう一つの言葉があるのかもしれない。

信じれば、人は為す。

上杉鷹山が、お金の代わりに配ったもの

鷹山が藩主となったとき、米沢藩の金庫に余裕はなかった。

給料を上げることもできない。

豪華な褒美を配ることもできない。

むしろ、人々へ我慢や努力を求めなければならない状況だった。

それでも、多くの家臣や領民が改革へ力を貸した。

鷹山は、お金の代わりに何を配ったのだろうか。

まず、自分の覚悟を見せた。

次に、役割を預けた。

人知れず続けられている努力を見つけた。

必要なときには、努力する人を守った。

そうした一つひとつの行動によって、

「この人は、私たちだけに苦労を押し付ける人ではない。」

「私たちの働きを、きちんと見ている。」

「この人のためなら、もう少し頑張ってみよう。」

という思いが、人々の中に生まれていった。

それこそが、鷹山が作り上げた最大の資産だった。

金庫の中にはなくても、人々の心には確かに存在する資産。

信頼である。

おわりに――最後まで人を動かすもの

ここまでの「人が動く日本史」では、人が動くさまざまな理由を見てきた。

聖徳太子は、努力が評価される道を作った。

戦国の感状は、命懸けの働きを記録し、功績を認めた。

織田信長は、それまで存在しなかった新しい価値を生み出した。

豊臣秀吉は、人を惜しみなく認め、未来を託した。

徳川吉宗は、家柄に埋もれていた能力を生かす制度を整えた。

そして上杉鷹山は、人が長く力を貸し続けるために欠かせないものを示した。

それは、お金だけではない。

肩書だけでもない。

話術や命令でもない。

「この人のためなら、頑張りたい。」

そう思えるだけの信頼である。

信頼は、一日で作ることはできない。

派手な演説によって、一気に手に入れることもできない。

約束を守る。

都合の悪いときにも逃げない。

相手の話を聞く。

自分が先に動く。

仕事を任せる。

努力に気づく。

必要なときには、守るために決断する。

そんな日々の小さな振る舞いだけが、人の心へ積み立てられていく。

上杉鷹山が残したものは、財政改革の記録だけではない。

人は、どのようなリーダーを信じるのか。

組織は、どのようにすれば自ら動き始めるのか。

その答えを、自らの生涯によって示したのである。

人は、命令されれば一時的には動く。

利益があれば、条件のよい間は動く。

しかし最後まで人を動かすのは、「この人を信じたい」と思える日々の行動なのである。

次回予告――「人は動かじ」へ

ここまで私たちは、日本史の中から、人が動く理由を追いかけてきた。

評価。

承認。

価値。

称賛。

制度。

そして、信頼。

では、これらを一つの流れとして表した言葉があるとしたら、どうだろう。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。

この言葉を残した人物として知られるのが、連合艦隊司令長官・山本五十六である。

あまりにも有名なため、単なる「部下の褒め方」を説いた言葉として紹介されることも多い。

しかし、その続きを読むと、山本五十六が考えていた人材育成は、それほど単純なものではなかったことが分かる。

自分が手本を示す。

理由を説明する。

相手に実際にやらせてみる。

成果だけでなく、挑戦した姿を認める。

さらに、話を聞き、任せ、見守り続ける。

そこには、これまで6回にわたって見てきた「人が動く条件」が、驚くほど凝縮されている。

次回はいよいよシリーズ最終回。

山本五十六は、なぜ「ほめてやらねば、人は動かじ」と考えたのか。

有名な言葉の一部だけでは見えてこない、人を育てるリーダーシップの全体像を読み解いていく。